カサンドラな日々

「なぜか周りと噛み合わない」ズレを楽しむ人のブログ

子育ては、操り人形だ

私は母親から日常的な暴力を受けたわけでもないし

育児を放棄されたわけでもないし

ブタと間違われて、宇宙船から捨てられたというような、過去もない。

ただ、ただ、自分が息子を出産し、母親になってから

自分の「育ち」について考えるようになったのだ。

 

 

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 理想のペンダント

「私はお母さんのペンダントだったのでは?」

この疑問が私をジワジワ苦しめた。

 

母親には、可愛がられ、大切にされた。

でもそれは彼女自身を輝かせ、人からよく見られるための

ペンダント的な役割の範囲でしか、なかったような気がするのだ。

 

私は自分自身でいるよりも、母親が求める「娘」にれるよう頑張った。

自慢の娘でありたいと思い続けた。

誇らしいと思ってもらいたかった。

それに応え続ける自分にあった感情はたぶん「喜び」だった。

 

選ぶ洋服も、習い事も、進学先も、就職先も、紹介する彼氏も

すべて母親のことを考えながら決めた。

 

私が「間違った」「失敗した」と思う時は、

母親の反応がよくない時だった。

母のルールの中での失格をしてしまうと、

彼女は簡単に娘を突き放し、見捨てた。

「親の顔に泥を塗るのか」と怒鳴ったあとに泣く母親は、

完全に被害者の顔をしていた。

 

気づくとすぐ加害者になっていた私は

いつも申し訳なくて仕方がなかった。

自分はまだまだ未熟なのだと思って、恥ずかしかった。

 

散々思い悩み、弱り切った私に

「お母さんの言うことを聞いていればいいのよ」

と優しく語りかけ、囲む人。

それが私の母親だった。

大切なペンダントとして、私はとても愛された。

  

「生きにくい」の理由

よく犯罪に手を染めようとした人が

「あの時、母親の顔が思い浮かんで、思いとどまった」

などと話すけど。

それとはなんと言うか、質感が全然違うと思っている。

 

子どもならみんな、母親を喜ばせようとする。

悲しい顔も見たくない。

でも「母親を悲しませないように」というような願いではなく、

私は圧倒的に「恐れ」に動かされていた。

ペンダントとして、母親のために輝いていないと

自分には価値がないと思っていた。

恐れに支配され、行動していた私は、えらく生きにくかった。

そしてたぶん、母親も

人の目を気にして

恐れしか見えない人で

ひどく生きにくかったに違いない。

 

自分で決めているようで、自分では何も決めていない。

この時に気づいた時、私は退職までしてしまった。

意気揚々と歩き出したのだが、 実はちょっと足踏みしている。

迷子だ。

私はどうやって生きていけばいいのかわからないのだ。

自分の喜びがわからない。

今までは、自分の外に正解があり、模範解答があり

それをうまく読み取れさえすれば、それなりに評価されてきた。

 

でももう外に評価を求めないと決めてしまったのだ。

何が正解で、何が不正解というものもない。

自分の「願い」に耳を傾けて、生きていく。ただそれだけ。

迷った時は、自分の中に、探しにいけばいい。それだけのことだ。

 

それだけのことだけど。

自分のことがわからなくて、簡単には、自分の中にアクセスできなかった。

深く深く潜って、半年近く、浮上できない時もあった。

 

そう思って、浮上できない自分を慰めながら

「生きる」を続けてみた。 

 

子育ては「puppet」

そんな時、子育ては「puppet」なのだ、と先輩に教えてもらった。

私は息子とともに生きていく中で、絶対に忘れないようにしようと

これは胸に留めたことである。

パペット、操り人形。

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ワードだけを断片的に聞くと、ひどく恐ろしい。

ここで怒らず、ぜひ最後まで聞いてほしいのだが、こういうことだ。

 

生まれた時の赤ちゃんはたくさんの紐に繋がっている。

紐に守られながら生きている。

その紐を少しずつ、チョキンチョキンと切っていき、

最後の紐を切った時、その人形が自分で立っていられるようにすること。

これが子育てなのだと。

 

私は紐があって守られた経験をした。

不自由だった経験をした。

紐を自分で突然切り始めてヨロヨロした経験をした。

 

遠回りしたと悔やんだ自分の人生。

足踏みして、立ち止まって、振り返って考えてみたら

過去の意味が変わってきた。

 

 

「お母さんに愛されなかった、大事にされなかった」という絶望は

「自分を愛せなかった、自分を大事にできなかった」という

自分自身の悲鳴だったのかもしれない。

 

だから母親をもう恨んでいない。

ここで母親の悪口を書こうという目的も、持っていない。

 

ただ、自分の中で封印してきた気持ちを

ここで表現したいという気持ちがある。

自分の悲鳴に、一度光を当ててみたい。

 

自分が今まで見ないようにしてきたものを

改めて見ていくのは、辛い作業ではあるけど

これは放ったらかしていた自分の片割れを癒す作業であるのかもしれない。

 

これは、脳内に張り付いている「母親の声」「母親の顔」を

もう私には必要のないものとして、手放していく作業である。

ベリべりべり。

母親ではなく、自分を信じるという決断である。

私は最後の紐を、やっと自分で切ったのだ。