感情から、ひもとく

元保健室の先生。これを愚痴で終わらせるわけには・・という執念の日々のブログ。

「ありの〜ままの〜♪」な、自分なんて怖いと思う人へ

あれ、ちょっと、懐かしいね、というタイトルを出してすみません。

この歌、今だから思うことがいっぱいあって。

知らない言語のBGMと同じくらい

ぼんやり聞いていた昔の流行りの歌に

すごいメッセージ性を感じたんですよ、いまごろ。

 

30代半ばの自分は、随分小さなころから、

「〜するべきだ」というメッセージを日々受け取って来た気がする。

 

今だから思うことだけど、それらの根底にあったのは、

「何かを成し遂げなさい」「人の役に立ちなさい」

という無自覚の強迫観念だったのでは・・・

 

親や先生の期待に応えて生きていた自分が

(なんども繰り返しますが、実際どれくらい応えられたかもわからんけどね)

親になり、保健室の先生をやめて、起業した。

 

一気に結論まで言ってしまいそうなので、

ちょっと遠回りしながら説明しますよ。

 

まず、親になったことで、今までの生き方が通用しなくなった。

自分の力ではどうにもならないことの連続に自信がなくなった。

 

わたしは、自分の内側に深く、深く潜って

自分の輪郭を丁寧になぞっていく作業を繰り返し続けた。

 

まだよくわからないけど、少し触れた実感があって、それが

 

「何者かになんて、ならなくていい」だった。

 

私は私で、誰かの真似をしなくていい。

今私を動かしているエネルギーは

「私は自分のために生きている!」だ。

 

 

私は自分の足りないところにばかり目がいく人だったので、

時には涙を流しながら頑張った。

「頑張っているので、許してください、

今はここまでで勘弁してください、また頑張ります。」と思っていた。

(虐待なんてされていないけど、

いつまでも未熟で不十分な自分に罪悪感があった。)

 

なんでかわからないけど、

今後の努力を表明することで、

不十分な自分にも、

ひとまず満足してくれる大人が、身近にいっぱいいたような気がする。

 

そして私もそういう大人になっていた。

これからの時代は個性だと思いながらも、

好きなことをして生きている人を見てずるいと思う、そういう大人になっていた。

 

欠けているところを頑張って補完しても、また別のところが欠けてしまう。

足りない、足りないと色々なものを足していった自分は、

どんなカタチの人間だったかなんてわからない。

 

ギョッとする事実として、自分の足りないところに目がいく人は、

相手に対しても「何かが足りない感」を感じ続けることになる。

 

私は学校で働いてきて子どもたちに随分と、

プレッシャーになる言葉をかけてきてしまった。

 

「あなたはたった一人のかけがえのない命なのだから」

という前置きにプラスして、努力することを求めた。

優しい笑顔で暴力を振るうような、一番厄介なことをしてしまった。

 

「努力は素晴らしい。」ではなく、

「努力をしないとひどい目にあうぞ」という問題回避型思考によるアドバイス。

 

私はこれを、「恐れに紐付けられた呪い」と勝手に呼ぶ。

何者かにならないといけないという、呪い。

 

「ありのままの〜姿見せるのよ〜(中略)何も怖くない〜」

 

だから当時この歌に、心が動かされることはなかった。

怖すぎるし寒すぎるでしょう。

 

 

「恐れ」と「〜するべき」でいっぱいの私の頭は、

重たいパソコンのような頭で、

簡単で軽い作業しかできなかったから。

 

「恐れ」と「〜するべき」のデーターが

いらないことに気づいて消していっている。

 

まだまだいっぱい残っていると思う。

それでも随分、私は身軽になった。

スペースができて、考えられることも増えた。

「生きている」という確信を持ち始め、やっと地に足がついた。

 

自分のことだけ考えればいいと言うつもりもなければ、

努力を否定するつもりもない。

 

努力をして何かを成し遂げる人生も、

人や社会の一員だと感じることができる人生も、

本当に豊かなことを、知っている。

 

「〜するべきだ」の呪いにかかってしまっただけで、

世間で言われるルールのすべて、始まりはきっと愛だった。

 

私がこの愛を受け取る準備ができていなかったように、

順番が大事なのかもしれない。

 

人の役に立つ。社会の役に立つ。何かをがんばる。

 

その前に。

 

「ここでの正解は?」と察して与えられた役割を演じる。

 

その前に。

 

自分はどうありたいのか。

 

自分はどのような個性があって、何を実現したいのか。

その問いを持っているのか、いないのか。

努力が虚しさを生むのか、豊かさを生むのか。

全てはまずはここから。

 

 

私が夢みる未来は「みんなが自分で自分を満たせる世界」

 

みんなが人のために生き始めたら、

本当に幸せな人はこの世から一人もいなくなっちゃうんじゃないかなと、

これ、真面目に思う。

 

誰かに認めてもらうことを求めない。

自分で自分を満たす。

自分の機嫌に責任を持つ。 

 

そういう生き方を私はしていく。

子どもが、パワフルに、自覚的に

生きていく姿をみることができたら、すごく嬉しい。

 

もうね、まず考えるのは5秒先だけでいい。

疲れちゃうから。

1年、5年、10年先は、「いま、ここ、自分」の連続だ。

 

続いていく未来を、自分でつくっていけますように・・・  

 

 

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