カサンドラな日々

「なぜか周りと噛み合わない」ズレを楽しむ人のブログ

「冬がない人」になりたかった

私は結構気分にムラがある。

とても前向きで頑張れる自分と、

生きていくのが難しいと感じて身動きが取れなくなる自分がいる。

 

思えば後者の自分の存在をずっと否定してきた。

これは本当の自分じゃない、本来の自分を取り戻したい、

元に戻るまでは誰にも会いたくない。

 

そこに確かに存在している「難しい自分」を
ずっとないもの、「本当の自分じゃないもの」としてきた。

 

特に積極的に死のうとするわけではないが、

「生きる」を続けるのが、ひどくむずかしく感じる。

死ぬわけじゃないが、生きてるわけでもない。

そういう自分には罪悪感があった。

 

「こんな私が存在していて、すみません」

 

そういう自分は未熟であって、変わらないといけない。

人に見せてはいけないと長年思ってきた。

実際、見せて、離れていった友達も彼氏もたくさんいた。

うん。家族にも見放された。

このままの自分では、いられないと思った。

 

 

自分だけじゃない。


そういう「低空飛行」の状態を訴える人のことを疎ましく思っていたし

それを隠さない人は幼いと思っていた。

「お願いだから、自分で解決してくれ」と、思っていた。

 

私も、一番大事な時に見捨てて離れていく、ひどい人だったのだ。

感情を出すと「孤独になる」「みんなが離れていく」「うんざりされる」

というのは私の中でロックオンされていたけど

本当にそうだったのだろか。

 

私はこの世の、素敵な部分、ナイスな部分だけ認めようとしていた。

明るく、生産的な春や夏。

私は春と夏の自分だけ、人前に出していた。

秋の気配を感じ始めたら明るく「じゃっ!」と引きこもり

冬は完全に身を隠していた。

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私は「冬がない人」になりたかった。

理想通りにいかないもので

今、私は長い冬を過ごしている。

春の光が、出口が、見えなくて焦っている。

この冬は、辛抱するだけの、生産性のない、

無駄な時間だと思っていたけど。

 

もしかしたら違うのかもしれない

 

ということを、この長い冬が教えてくれているような気がしてきた。

 

日本には、春、夏、秋、冬とはっきりわかりやすい変化がある。

寒い冬を越すから、桜は綺麗に咲くんだと、いつかの誰かが言っていた。

 

「何もかも嫌になる時期なんて誰にでもあると思うよ?」と、

先日尊敬する人に言われてびっくりした。

そうだったんだ、知らなかった。

自分を含めた、一部のダメな人だけが、

この感情の大きな振り幅に悩んでるんだと思っていた。

こちらはダメで、あちらはOK、というジャッジ。

無意識の、すごく大きな分断があったのだ。

冬が無駄じゃないのなら、とことん味わってみるか。

 

 

私は今後、何者として、この世界で生きていくのか、と考えた時に、

見ないようにしてきたもの、蓋をして終わりにしてきたものに、

もう一度光を当ててみようと思った。

 

蓋をしたけど、見ないようにしてきたけど、

私は隠されたそれが、ずっと気になっているのだ。

 

みんなは、どうやって生きているんだろう。

春夏秋冬は同じことの繰り返しではない。

毎年、違う顔を見せる。

スパイラルで、進んでいるのだ。

それを感じて、考えて、全てに、光を当てて見たいと思う。