カサンドラな日々

「なぜか周りと噛み合わない」ズレを楽しむ人のブログ

「丸ごと許せ」は乱暴な要求だ

最近思うのは

自分を通してしか、相手を見ることってできないよなってことです。

めちゃくちゃ当たり前のことを言いますよ。

 

みんな、自分の感情や思考を通して相手をみている。

 

相手を見ているのは「自分」だから。

だからこそ、この「感情」とか「思考」の純度を高められたら

いいなって日々思っているんですが、今日は端折ります。

 

 

 

 

「自分にあるけど見ないようにしている部分」

つまり、あるのにない物として蓋をして葬っているようなこと、

封印しているような部分を持っていると、

相手にもその部分があった時に、すごく刺激される気がします。

 

例えば、「目立ちたい。でも自分は不十分だ。」と思っているとする。

そうすると、相手の中に不十分な部分を探しては、

目立っているあいつのことがとにかく許せなくなる、とかね。

 

自分のことを丸ごと認めると

人のことも丸ごと認められるって、

こういうことなんだと思う。

 

丸ごと認めるということ

丸ごと認めるというのは

丸ごと許せってことじゃないと思う。

丸ごと許せだなんてそんな乱暴な要求、飲めませんよ。

 

 

そういう部分あるよね、ってちょっとムカついたり

胸のどこかが疼いたりするけど

「うん、ある、ある。」って思うことなんだと思う。

 

よく、お母さんは「子どもを丸ごと受け入れてあげてください」って

言われる。本当にいろんな人に。

でも、子どもの要求とか行動とか発達の様子とか、

嫌だな、理想と違った、残念だなって思うことあるでしょう。

思っていいですよね。

「本当は学校に行って欲しかった」

「友達と仲良くして欲しかった」

そういう気持ち、あるよね。

あって当たり前なのに、持ってはいけないと思ってる。

嫌だと思ってしまう自分は母親失格だって、追い込まれている。

「あるな」って認めるだけ。(難しいけど)

それだけで、十分だと思います、本当に。

難しいことを言ってすみません。

 

アドラーも言ってる

アドラーは

「ひとりひとりは、ユニークでかけがえのない存在である」

と説きました。

これだけ多くの人に支持されている心理学の

根本というか大前提というの?それはこれだなって思います。

 

みんな持っている才能や素質が違うのだから、

他の人と比べる必要なんかない。

自分の得意なことを人と比べていい気分になるのも良くない。

比べていいのは、過去の自分と今の自分だけ。

 

人を見て、モヤっとすることがあったら

自分の中の何がそうさせているのか

ちょっと自分の胸に手を当てて聞いて見る。

 

それで、「ウンウン。」って言ってあげる。

あるよねーあるよねーって。

 

そうやって自分のことを大切にしてあげると

目の前の相手を許すだとか許さないだとかそういうんじゃなく

見える世界が優しくなる気がします。

 

壊れたメガネをかけてたよね時代

昔の自分ね、壊れたメガネをかけていたんスよ。

これもよかったら読んでください。

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