なんか、ずれてますか?

大切な人たちといつでもなぜか「噛み合わない」人のブログ

脳内メーカーが「母」だった時代

これはズレについて書いていくブログですが

まず思いつく痛々しいズレとして一つ

真っ先に思い浮かぶことが

 

「自分の世界にずっとお母さんが鎮座していた」ということです。

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1歳の子供の頭の中を割って見てみたら

多分「お母さん」は9割ほどです。

昔流行りましたよね、「脳内メーカー」

脳内イメージが割合で見れるやつ。

 

大好きなプラレールも「お母さんとプラレールで遊ぶ」とか。

パンも「お母さんと食べるパン」とか。

 

おそらく、おそらくですよ?

私と息子の2人だけの世界の中に

いろんな事柄が含まれている。

母という脳の膜の中に「プラレール」「パン」が入ってる。

 

で、この割合が成長とともに少なくなっていくと思うんですけど。

多分それが自然なことなんですけど。

 

私ずっと自分の世界にお母さんがいたんですよね。

 

私の脳内メーカーは

「母」「母」「母」「悩」「苦」「母」「母」「母」「母」「食」「欲」「母」「母」「母」「母」「母」「母」「嘘」「金」「母」「母」「母」「友達」「彼氏」「夢」「夢」

 

多分こんな気持ち悪い感じだった。

 

小学生の時とかは気づかなかったけど。

だってまだみんなの口からも「お母さん」って言葉が

よく出るじゃないですか。

 

自分の周りには、自分の家より厳しそうなお家がたくさんあって

「お母さんがだめって言うから」とか言う理由で

一緒に遊びにいけない友達とか普通にたくさんいてね。

だからその頃は私も普通の人だったんだけど。

 

多分、私が、世間の成長と

ズレ始めたのは、浮き始めたのは、

大学生になった頃じゃないだろうか。

 

某宗教を信仰していて家が厳しかった子が金髪になっているのを見て

私「お母さんはなんて言ってるの?許してくれたの?」

クリスマスに彼氏と旅行へ行くんだと言う友達に

私「お母さんはよく許してくれたね。お母さん心配してない?」

精神的な病気で通院し始めた友達に

私「お母さんは何て言ってた?心配してた?」

みんなの反応

「え・・・お母さん?関係なくない?」

 

それがさ。私にはさ。

ずーっっと関係あったんですよね、お母さん。

 

お母さんに言えないから、ごめん旅行は行けない。

お母さんが心配するからもう帰るね。

髪の色を明るくしたいな。おあ母さんに聞いてみようかな。だめかな。

この洋服はお母さんが好きじゃないだろうからやめておこう。

ごめん、お母さんに紹介できないから、別れよう?

養護教諭にやっぱりなりたくない。でもお母さんに何て言おう。

お母さん言えない。だめだ。

お母さん悲しむかな。

お母さん、許してくれるかな。

お母さん。

お母さん。

お母さん。

お母さん。

許して。

お母さん。

許してください。

 

 

私の頭の中はずっとこれ。

それに気がついたのが、子供を産んでから。

 

いや、マジで、びっくりしましたー。

自分の世界に「お母さんはもういなくていい」って

自分で決めていいんですね。

 

やっと決めることができたのは、次男を産んでから。

 

脳内を占めていた「お母さん」に

さよならしたら

めっちゃスペースができて

楽しくなりました。

 

お母さんのこと考えなくていいってめっちゃ楽。

パンパンで破裂寸前だった脳みその、なんと軽いことでしょう!

重たいパソコンみたいに、ぐるぐる回って停止していたのが

自分の意思だけで「enter」押してスパスパ進めるようになった。

 

長男、次男はまだまだ幼いから

多分脳内は「母」を占めてる。

それを自覚して、子育てをしていこうと思う。

 

彼らの世界から、私が早々にいなくなるといいな。

「お前なんて関係ねえよ」って、早く私を追い越してほしい。

私の背中を早く小さく感じてほしい!

だって本当に小さい背中なんだから。

彼らの方が、すごいんだから。

 

家族みんなが、どんどん自由に、

好き勝手に生きていけますように。

 

それまでの間、今はたくさん「お母さん」として

子供の前にいられることを自分が楽しませてもらいます。

 

 

「妻の機嫌が悪いのですが、僕のせいでしょうか?」

答え

「はい。そう思っておいて、ほぼほぼ間違いなかろう」

 

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ある朝、私はいつものようにご飯の支度をしていた。

 

その横で夫が携帯を見ながら

伝説のバンド「クイーン」の奇跡について語っていた。

 

息子はもうダイニングテーブルの自分の椅子に座り

 

「ごはんだよー!!」

「すわってー!!」

「じかんだよー!!」

「すわってー!!」

と声の限り叫んでいる。

 

そしてこの叫びは私にしか届かない。

たぶん周波数の関係かなにかで。

 

彼はまだ2歳。

みんなが座ればご飯が始まるという誤解。

 

きみきみ、ドラえもんの「畑のレストラン」じゃないんだから。

 

左手で野菜を煮て

右手で目玉焼きを焼き

冷蔵庫から子供が欲しがる麦茶を出しながら

右耳でクイーンの功績を「ウンウン」と聞き

左耳で子どもの叫びを「はいはい」と聞き

朝食の味見をしながら

目と顎で、夫に指示を出す(伝わらない)

 

仕方がない。

夫は熱心にクイーンについて語りたい気分なのだ。

 

 

ねえ、お願いドラちゃん、私にスペースをちょうだい。

 

 

「ハルくん、何も働かないでご飯を待ってるのはハルくんだけだよ~♪」

 

咄嗟に出た、夫への嫌味。

 

それにこたえたのは、息子だった。

 

「チガウー!チガウー!!(泣)

パパも、はたらいて、なあーいっ!!!(泣)」

 

約束されたはずの幸福を噛みしめることができない、それはクッキー。

イライラする人、冷えに悩んでいませんか?

そして砂糖と小麦が体を冷やすということをご存知だろうか。

私は身をもってこの事実を確認した。

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ある日、私は夫を引き連れ、ベビーカーを押し、渋谷にいた。

メガネの「おばさん」が、エプロンをしてクッキーを持っている

この看板を見た時、私の5分後の幸福は約束されたと思った。

クッキー食べ放題60分 880円。

 

クッキーというものは、もうちょっと食べたいのにな〜
というお上品な量が、綺麗な袋や箱に詰まってる。

私は長年

「いつか気の済むまま、腹いっぱい食べてみたい!!!」と思っていた。

 

この頃の自分は、母乳育児ノイローゼに加え
むしゃくしゃすると暴食に走るという
独身時代からの傾向が残っていた。

 

「30枚くらい食べられるかな~♪」

 

あまり甘いものを食べない夫を付き合わせ
鬱憤を晴らしに店に来ていた。

 

出産を機に砂糖をとるのをやめ、食事に気を使うようになった。

食事に気を使っているのに、おっぱいが毎日数回詰まった。

それが辛くて、投げやりになっていた。

(あとでわかったのが、お米が原因で詰まっていたんだけど。
そりゃ詰まるよね。お米を毎食、食べてたもの。)

 

店内に入り、紅茶を注文し、渡されたトングと小さなカゴを持って

薄笑いを浮かべ店内を物色する。

小さなカゴにクッキー6枚がおさまり席についた。

 

美味しい~!

久しぶりに食べたお菓子は、美味しかった。

 

しかしだんだん「あれ?」という感覚が。

お腹は空いてるのに、食べらえない。

 

もう無理だと思った。

 

そんなのおかしいじゃないか。

 (私の胃の中は紅茶の上に粉々になったクッキー6枚が浮いてるだけだぞ。)

 

脳が「これ以上食べるな、絶対食べるな!」ってストップをかけてくる。

 

(これはエラーメッセージか?)

 

ここのクッキーは1枚80円くらいなので、現在480円。

渋谷までの電車代640円。

 

赤字だ!

 

震える手で小さなカゴを持ち

「だ、第二ラウンド行ってくる」と席を立つが

本当にどれももう食べれる気がしない。

 

なんとか2、3枚選んで席に戻るが、寒くて震えが止まらない。

夫も「寒い寒い」と言って小さくなっている。

 

暖房の効いた部屋で2人でコートを着て寒さに耐えるが、

もう体の芯がキンキンに冷えているようでどうにもならない。

全身の毛穴から冷たい風が抜けていく。

 

寒い、眠い、顎が疲れた、喉渇いた、寒い、眠い、寒い。

テーブルに伏した。

 

(死ぬんじゃないか?)

 

だめだ、とにかく温まろう。

紅茶お代わりしよう。

え?別料金?

嘘でしょう。

どうする?

うん、ここで死ぬわけにはいかないよね。

うん、そうだよね、頼もう。

 

結論:クッキーはお腹いっぱいになる前に死ぬ。

 

 

約束された幸福を目指して渋谷まで来たのに。

一時の天国から、あっという間に生きる気力までも奪われた。

 

これは私たちが一度、砂糖と距離をとって
生活してたからこその反応だったのかもしれないし、

そうじゃないかもしれないし、わからない。

 

イライラするのがもう嫌で、止むを得ず砂糖を絶ったが
お菓子に対する未練は残っていた。

でもこの極寒体験をして、なんか諦めがついた。

 

確かに美味しいのだ。

でも食べるとガツンと脳に直撃してくるような
パワフルな砂糖はもういらない。

その甘さは魅力的ではある。

でももう私には必要ないのだ。

 

むしゃくしゃして、暴食に走っても

いつも

「私が欲しいのはコレジャナイ感」

が虚しかったのだ。


そしてすごくイライラするのだ。

だから、やめたのだ。

 

体も心も温まる食事をとろう。

それがわたしのご馳走なのだ。

 という、まとめが出たので、この話は終わり。

 

クッキーはいつだって、今だって、

心惹かれる魅惑のお菓子であることは間違いない。

でも嗜む程度、誰かが笑顔になる一枚で十分。

 

今後はむしゃくしゃしても、ムシャムシャしないようにしよう。

お母さんを幸せにしようとしていた記憶「土曜の昼下がり編」

子育てがこんなに大変だと思わなかった。

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寝ている時に喉を蹴られると「グェっ」って音が鳴るとか。

親指の爪を、両手で剥がされそうになって、冷や汗かいて目覚めるとか。

 

知らなかった。

 

「痛いっ!!」と大声を出すと、大爆笑する人間がいるなんて。

 

な、なんて、恐ろしいのだろう。

 でもね。子どもはどの子もお母さんを幸せにするために生まれてきているらしい。

 

これ本当だと思いますよ。

 

私もそうだったな。

私はお母さんを幸せにする、私にならできるって、自信満々だった。

 

*目次*

 

 

子どもは親(の期待?)を裏切りたくない

 

私が小学生の頃は、まだ土曜日は午前中だけ学校があって、

給食なしで下校してたんですけど。

 

土曜日のお昼は焼きそばとかラーメンとかの麺メニューが多くて

家に帰るのが楽しみでした。

 

ある日の土曜日、マクドナルドが買ってあって。

(今では安さをウリにしているけど、当時はなかなか買ってもらうことはなかった)

 

お母さんが、きっと、私がすごく喜ぶと思ってね。

チャリ乗って買ってきてくれた光景までも鮮明に目に浮かぶんだけど。

 

とにかくポテトが冷めてシナシナでまずい。

 

「お母さん、ポテトはすぐに食べないとまずいんだよ」と

文句が言えるわけもなく。

 

 

でも「ありがとう!すごく嬉しい!」って喜びすぎると、

またお母さん、買ってきちゃうかもしれないし。

 

「お母さん、忙しいのに、チャリ乗って買ってきてくれたんだ。」

 

「私、ポテトが好きだから。

マックの袋見て喜ぶ私を想像して買ってきてくれたんだ。」←実際袋見てはしゃいだ

 

「お母さんは、お母さんは・・・・私が喜ぶと思って買ってきてくれたんだ・・・」

 

と思いながら涙が出てきました。(どうしよう、今もちょっと泣いちゃう)

 

 

 

「冷めててもね、嬉しいよ、ありがとう、

でもなんだろう、すごく悲しい。

でもね、嬉しいんだ。これも本当だよ。ありがとう。」

 

あの日のハンバーガーとポテトは、こういう複雑な味でしたね。

 

これ、健気っていうんですかね、なんなんですかね。

 

訳のわからない遠慮をしてしまう母との関係

こういう類の遠慮を、お母さんにしたりしませんでしたか?

(でもなぜか、お母さん以外の人の、ありがたいって心から

思えない親切には、嘘でも「ありがとう」って言えない人間。)

 

子どもなりに、いつもお母さんを悲しませまいとしていたな。

私はお母さんを幸せにできていたのだろうか。

使命を感じていたし、自信満々だったけどね。

 まあ、今はそんな罪悪感も綺麗サッパリ捨ててもうたけど。

 

自分の子も、こうやって、私に気を遣ったりするんだろうか。

 それは悲しいな。と思うから、頭のどこかに置いておきます。

お母さんは自分で幸せになって

 子どもはお母さんを幸せにしたいと思って生きている。

そうかもしれないけど

お母さんはお母さん自身の力で

すでに幸せなのよ、という状態であってほしい。

 

人に幸せにしてもらうことはできないから。

自分の手の中にあるものが「幸せ」だと、自分で気づくことだと思うから。

 

「あなたがいるだけで私はもう幸せだよ」って想いが

うちの子どもにちゃんと、通じますように。

 ・・通じますようにって、最後は神頼み。

子育てって難しい。

 

 

▼親以外の他人に対して

ついつい出てしまう「反応」についても書いてます。

www.daifuku-an.com

なぜか大人の男性に刃向かってしまう自分がいた

年上の男性に刃向かう自分

私は長年、なんか知らないけど

年上の男性に刃向かうという癖を持っていた。

  

年上の男性というのは私は上司なんだけど

上司に噛み付く、マアーーー! 

嫌な女だったんですよね〜。

 

*目次* 

 

 

お父さんに対する叫びだった?

この間読んだ「父という病」という本が

その答えを示してくれました。

 

なぜ、目上の人の言動に避難の目を向けてしまうのか。

そして、自らやばい状況を作り出してまうのか。

 

私、お父さんに対する「違うだろー!!!」という叫びを、

大人の男性たちに投影してしまっていたんですね。

 「お前がもっとしっかりしろー!!!」って。

 

お父さんに対して言いたいことを

本人に言わず

赤の他人に、それも上司に、

ぶつけていたのだから

本当に恐ろしい子です。

 

パターンを知って抜け出す

自分でもわからないけど

なぜか繰り返してしまっている

そのパターンを知ることで抜け出すことができます。

 

私だってやっぱり・・・

誰とでも穏やかな関係を築きたかった。

 

だけどその目的とも違う大きな目的を潜在的に持ってしまっていた。

「目上の人は敬わなくてはいけない」っていう

社会のルールでは抑えきれない

自分の心の叫びを知って

解消することができたから。

この謎のパターンから抜け出すことができました。

 

このパターンから抜け出したいという目的があったからこその

自分のパターンの確認なのです。

 

自分の中に落とし込むための本

「父という病」は「母という病」の続編です。

この2冊は、今の自分の子育ての

柱になるものを、教えてくれたように思います。

 

「あー気をつけよう・・・」と思うことがいっぱいでした。

 

でもね。

 

よくある「〜しましょうね、〜してはいけません」

といった類の育児書は

ただひたすらto doが増えていくような

窮屈さがあるけど

これはそういうんじゃないです。

 

この2冊は自分の中に落としこむ、というようなイメージ。

子育てのプレッシャーを

自分自身への覚悟に

変えてくれたような本でしたよ。

 

岡田尊司さんの本、さらに続編として

「夫婦の病」もあります。

 

続編の2冊、「母という病」という基礎知識があった方が

読みやすいかなと思いますが、

気になるものがあったらぜひ、どれからでも読んで見てくださいね。

 

「母という病」「父という病」「夫婦という病」

病とついているそのイメージ通り、内容はなかなかきついです。

でも目的を持って読めば大丈夫。

 

私の目的は、「人と争わずもっと気持ちよく生きていきたい」でした。

 

人生グルンと変わってしまうかも。

オススメです。

 

それが自分を大事にするということだ

自分を大事にするということについて考えた

友達がInstagramで

” 胃痛があり原因はストレスと言われた。

「ばか真面目なんだから、いつもニコニコ過ごしてなさい」と言われた。”

 

と投稿していて

とても胸が締め付けられた。

  

この友達は毎日ニコニコしている。

もうニコニコしなくていいよ、と言いかった。

 

場を和ませるために笑う。

断れなくて笑う。

辛くても笑う。

笑っていれば、いいことがある・・・?

 

これからは、笑いたい時だけ笑ってね。

”思わず笑顔になっちゃった”

 

その感覚を思い出して。

自分に正直に。

それが自分を大切にするってことだと思うよ。

 

 

「マツコ・デラックス」を、真剣に語る。

マツコデラックスが好きだ。

ということを真剣に語らせてください。

 

*目次*

 

マツコの知らない世界を毎週録画して

深夜せんべいを食べながら見るのが至福の時である。

 

他の番組は見てないから

”マツコの知らない世界” の話だけになるけど

マツコ氏の、奇想天外なゲストへの切り返しが本当に大好き。

 

マツコ・デラックス。

 

彼女が本当はどういう人なのかは知らないけど

「この人のここが好きだな」というところ

自分の憶測の範囲で考えたので、まとめてみた。

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女・子供に優しいとは限らない

 

ヤクザ屋さんや、ちょっと強面な人たちのルールに(古いルールか?)

「オンナ・コドモには優しく」

 

があるように(本当にあるのか?)

 

わたしも、なんとなく、そういう、

「誰が言い始めたか知らんが」という

世間のルールとか価値観で生きているように思うけど

 

彼女はね、

 女だからって容赦しないわよと

正々堂々と、厳しい。

 

偏見も、「偏見だけど」と言って口に出す。

 

恵比寿とか特定の地域の女性に、超厳しい。

ブスとか、平気で言う。

 

番組ディレクターとか、

本来ランクが高いであろう人に対して超厳しい。 

 

常識外れな人に、常識を持って誠意を持って応える姿勢がかっこいい。

 

”常識”ってなんだ?

ってのは永遠の謎なのだけど、

なんとなく「おや?」と思うことってあるもので

 

それをマツコ氏なりの美学を提示してくれることで、

自分の言葉にならないモヤモヤが整理されていくような気がする。

 

だって

混沌とした世の中には、区別が欲しいから。(←大げさ)

 

 マツコの仕分けが気持ちいい 

マツコ氏の過去に何があったか知らないし

ヤフー知恵袋で聞くつもりもないけど

色々あった人なんだと思う(なんだそれ)

(本人も、借金があったとか引きこもりの時期があったとか言ってた。)

 

「色々あった、それを越えた、今がある、これがわたしの軸よ」

という圧倒的な強さが、魅力的。

 

いい悪い・こっちが上でこっちが下という区別ではなく、

 

ランクや常識、番組の流れを無視した

「あれはこうよね、これはああよね」というマツコ氏の仕分けに

気持ち良さを感じる自分がいる。

 

自己疑念と付き合う

そこには「誰も言えないだろうから、わたしが悪者になるわね」

と言うくらいの潔さを感じる。(わたしの考えすぎか?)

 

誤解を恐れずビシッと言う姿がかっこいい。

 

でも。

きっと自分自身への「これでいいのか?」

という自己疑念が

この人にはずっとあるんじゃないのかなと、節々に感じる。

 

ぬぐいきれないそれを、視聴者に見せてくれる。

(わたし、本当に惚れてるんだな)

 

強いけど脆い、でも自分に負けない。

マツコ氏を見ていると

かっこいいパワーの使い方をしているなって思うのです。

 

 

 

ハラワタを見せてくれる

 

煮え返る「それ」を

視聴者に見せてくれる。

この人には嘘がないのかもしれない

という安心感。

 

すごく厳しいことを言っているけど

優しい、という不思議なバランス。

 

 真剣に生きている人がどうかを

見抜いているようにもみえるし、

人が大切にしているものがあることを

本能的な嗅覚で嗅ぎ取っているようにもみえる。

 

ゲストに対して「いいのよ、気にしないでね」とか言うけど、

ゲスト(素人さん)がその言葉の通り、本当に気にしないでいると

突然刃をむけたりする。

 

感情のままに

どちらかと言うと、「ぐうの音も出ない・・・」と言うくらい

相手をコテンパンにやっつけたりする。

 

時々ね、そこまで追い詰めたら、この人死んじゃうよと思うん。(大げさ)

 

追い詰めて追い詰めて

「飛び降りろ!」と言ってゲストに無理やりジャンプさせて

「きゃー」と目も当てられない状況になるかと思いきや

大きなマツコ氏が、セーフティーネットになって

全身全霊でゲストを受け止めていた、みたい場面、結構あって。

 

セーフティネットとなり受け止めた彼女はそこで

「お前、やればできるじゃん」くらいの一言。

 

テレビを見ているだけなのに

そのギリギリさに

いつもハラハラします。

 

本当に恐ろしい人です。

大好きです。