カサンドラな日々

「なぜか周りと噛み合わない」ズレを楽しむ人のブログ

「妻の機嫌が悪いのですが、僕のせいでしょうか?」

答え「そう思っておいて、ほぼほぼ間違いなかろう」

 

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ある朝、私はいつものようにご飯の支度をしていた。

 

その横で夫が携帯を見ながら

伝説のバンド「クイーン」の奇跡について語っていた。

 

息子はもうダイニングテーブルの自分の椅子に座り

 

「ごはんだよー!!」

「すわってー!!」

「じかんだよー!!」

「すわってー!!」

と声の限り叫んでいる。

 

そしてこの叫びは私にしか届かない。

たぶん周波数の関係かなにかで。

 

彼はまだ2歳。

みんなが座ればご飯が始まるという誤解。

 

きみきみ、ドラえもんの「畑のレストラン」じゃないんだから。

 

左手で野菜を煮て

右手で目玉焼きを焼き

冷蔵庫から子供が欲しがる麦茶を出しながら

右耳でクイーンの功績を「ウンウン」と聞き

左耳で子どもの叫びを「はいはい」と聞き

朝食の味見をしながら

目と顎で、夫に指示を出す(伝わらない)

 

仕方がない。

夫は熱心にクイーンについて語りたい気分なのだ。

 

 

ねえ、お願いドラちゃん、私にスペースをちょうだい。

 

 

「ハルくん、何も働かないでご飯を待ってるのはハルくんだけだよ~♪」

 

咄嗟に出た、夫への嫌味。

 

それにこたえたのは、息子だった。

 

「チガウー!チガウー!!(泣)パパも、はたらいて、なあいっ!!!(泣)」

「あ、こういうことはこの人に気づいてもらえないんだ」という傷

「あ、こういうことは、この人に気づいてもらえないんだ」

ということがあった時に

その人のことを意地悪な人と判定して

終わりにしがちだったな、俺。・・という話を今日はします。

みなさんにもありませんか?

たとえ、お互い笑顔で接してても

「・・・この人を信じられなくなってきた(^^)」

というようなか感覚になることが。

 

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掃除分担事件

 

前職は小学校の保健室の先生だったのですが

小学校って、職員室内でグループ分けをされているんですね。

低学年・中学年・高学年・専科など、そんな感じのグループ分けでした。

 

専科というのは、音楽の先生、家庭科の先生、図工の先生、算数の先生、理科の先生、保健室の先生、嘱託の先生等で、担任を持っていない先生です。

 

嘱託の先生は定年退職したおじいちゃん、おばあちゃん先生で

時にアクが強めの大先輩もおります。

で、このグループでやる仕事というのが、結構多い。

 

低学年・中学年・高学年それぞれの先生方は常日頃からチームプレーなのですが

この専科グループってのは寄せ集め感が満載でして

突然話し合ったり協力し合ったりしろといわれてもなあ「難しいンだよナ」と私は思っていました。

 

どこの職場でもそうだと思うのですが、特に「若手」であるというだけで

先輩方からは、体力、気力ともに満ち溢れていることを期待されます。

週に一度の放課後の掃除なども率先してやることが求められます。

で、この時の若手が、私と音楽と家庭科の先生の3人で全員女性だったんですね。

 

ある日、保健室に子どもがいなかったので

職員室で仕事をしようと職員室へ行ったら

音楽の先生が一人で掃除を始めていました。

掃除はいつもなら放課後にやることになっています。

その時、4時間目の授業中で、他に先生はいません。

聞くと、放課後は出かけるので掃除ができないから、今やってるとのこと。

 

自分もやりたい仕事があって職員室に戻ってきたわけですが

一人で掃除をするのも大変だろうと思い、当然、一緒に作業を始めます。

食器の洗い物は放課後にたくさん出るので、給湯室の片付けを残して

2人で職員室内の掃除を終わらせました。

 

放課後、保健室で溜まった仕事をしていると、部屋の扉が勢いよく開き

家庭科の先生がピシャリと言い放ちます。

 

「音楽の先生から職員室の掃除をやってくれたとの伝言があったので

私と図工の先生(この図工の先生はめちゃ怖い)で給湯室やりましたっ!!

だから先生はゴミ捨てやっておいてくださいっ!!(バンっ!!)」

 

私が答える間もなく、保健室の扉が勢いよく閉まる。

え?なにこの一方的な暴力。

私、掃除やったんですけど。

給湯室の片付けやったくらいで威張らないでくれます?

いや、私は何もやってない人だと思われてるのか?

え?というかなんで、音楽の先生は自分だけがやったことにした?

そんなつもりはない?

悪気ないってやつ?

ねえ、音楽の先生よ。

「私、掃除やっておきました」の回答では20点よ?

「私、職員室の掃除やっておきました」でも25点よ?

「私と保健室の先生で掃除やっておきました」で95点よ?

「私と保健室の先生で職員室の掃除やりました。給湯室とゴミ捨ては放課後にまとめてやるのが効率的だと思ったので、すみませんが残りはよろしくお願いします。」

って、家庭科の先生に言わないと、あの人には通じないよ?

 

とぐるぐる考えて、やり場のない怒りを抱えながらも

「あ、図工の先生には、給湯室の片付けをやってもらったお礼は

ちゃんと言っておかないと」と思って、お礼を言いに行きました。

 

毎日笑顔で頑張ってました。

 

例えばよ、例えば、掃除が始まる時間に職員室へ行って

「私も音楽の先生と一緒に先ほど職員室の掃除をしましたので、他の作業は

お願いします」と言えばさ、それはそれでさ。

「今この時間あなたの体はここにあるのだから協力しろや」

という雰囲気になる気がする。

いや、間違いなくなるだろう。

掃除したくないわけじゃないのよ?

やる気がないわけでもないのよ?

でもなんかこの状況にモヤモヤするんだけど、私が悪いの?

私は2歳年上の家庭科の先生が怖かった。

そして同い年の悪気のなさそうな音楽の先生が一番怖かった。

図工の先生は普通に怖いおばちゃんだった。

 

未消化案件

「あ、こういうことはこの人に気づいてもらえないんだ」という傷は

この若手3人の関係では、しょっちゅう生じていました。

「私たぶん誤解されている」

「その言い方に傷ついた」

こういう感情って、当時者間で表現しにくいなって迷いませんか?

 

私はいつも迷って、外には出さず、自分の中にしまって終わりにしてました。

だから、終わりにしたつもりが終わっていない未消化案件が、心を疼いています。

この話だって「オイオイ、何年前のことよ?」って感じですが

なんかふと思い出したのでこのタイミングで文章に書いて、消化を試みてます。

 

この同世代の女3人でいると、いつも「うーん、なんか噛み合わないな〜」という感覚になっていた。

当然、私が2人を傷つけたこともあったかもしれない。

仲良くなるのはもちろん、わかり合うのを、諦めてたなと思います。

 

「この人、気が利かないな」という理由では人を嫌わない

肌感覚で「夫や彼氏が気が利かない人でさ」という理由でお怒りの方は

多いように感じています。

うちもそうです。

「その言い方では足りないよ」という不満は、時に関係をこじらせます。

 

例えば、1ヶ月前から友人と食事に行く約束をして

その間は夫が子どもをみていてくれることになっていたとしましょう。

夫が一人で子どもをみるという状況は年に1〜2回です。

しかし、夫は仕事を入れてしまいます。

仕事を入れてしまうというより

「なんか知らんが仕事が勝手に、気づいたら入ってきてたんだわ」

というような謎の感覚で夫も困っています。

仕事と言われれば、こちらも、ぐうの音も出ません。

そこで夫は、自分の実家に

「妻が友達と遊びに行くんだけど俺は仕事だから、孫と遊んでくれないか?」

と連絡をします。

良かれと思って連絡します。

私は、それだとめっちゃ不満なんですが、考えすぎでしょうか。

 

その言い方だと「息子は仕事で大変なのに、嫁は遊び歩いているのか?」

という印象にならないでしょうか。

 

夫は「え?うちの両親はそんな悪い風には思わないよ。孫と会えたら嬉しいんじゃないの?」と言います。

私は普段の様子を観察する限り、そこまでポジティブに引き受けてくれるとは思いません。夫婦で見えている世界が違いすぎて、もはや真実はわかりません。

私は肌感覚で、雰囲気をキャッチしますが

夫はそのような曖昧な感覚を採用しません。

そもそも、私は結構困った状況でも、人に連絡して助けてもらうということを

ほとんどしてません。

だから簡単に両親に依頼してしまう夫に対しての嫉妬のようなものもあります。

 

「ジャア〜・・・両親に来てもらうくらいなら、私約束断るわ・・・」と渋々言うと

夫の方は「そっか、わかった。ごめんねっ!」と実にライトな返し。

そして黙って私は夫を睨む。そして根に持つ。

 

根に持っているので、どうしても後になって

「本当は行きたかったのに」と嘆いてしまう俺のことを

夫も「よくわからん、難しい人だ」と思うようです。

 

こんなズレズレの人生で学んだことは

「察して欲しい、は己のわがままだと心得よ」ということでした。

 

「気が利かない人だ」と認定して、見下して、嫌うのは、もう終わり。

「私はこう思ったよ」と伝えないことには

一向に分かり合えないし、お互い満たされない。

だって違う人間なんだもの。

 

そして自分のしたいことがあるなら

人に協力してもらったり、誰かにお願いして助けてもらったり

をもっとしてもいいんじゃないか、と言うこと。

それで、相手がどう思うかわからないけど

それをコントロールしようというのも変な話だよね。

 

友達と1ヶ月前から約束していたのに行かなくていいの?

両親にお願いすることはそんなに悪いことなのかな?

誰にも頼らず母親業を頑張ってます、という自分に酔ってないか?

 

細かくチェックすると色んな疑問符が飛んでくる。

私はそういう自分の痛い部分と向き合うのが面倒で。

人と向き合うのが面倒で。

結果(人からの評価)を手放せなくて。

 

でも、もう「人を嫌いになる」という方法で

一人で感情を始末するのはやめようかな。

 

 もうそれ以外の方法で解決していけそうな気がする。

 

 

 

おとうさんへ「早く家に帰ってください」

タイトルが意味深ですが

深刻な家庭の話ではないです。

これはおとうさんから感じた「親切」のズレの話。

 

これは第一子を出産をした時のお話。

パワフルに産んでしまった私は会陰裂傷がひどく

お股が、お尻の穴の直前まで裂けてしまった。

(こういう話が苦手な人がいたらすみません)

 

入院中はずっと横になっていて過ごしていたのだけど

座るのが本当に辛い。

ドーナツ型のクッションも用意していなかったので

もう、悲鳴をあげながら、前かがみになって

やっと車の座席に座った感じだ。

 

そして出産後の身体というのは

自分でも何がどうなってるんだかわからないくらい、ボロボロ。

腰もガタガタで、まっすぐ座ってられない。

それでも私は越えなくてはならなかった。

「車で1時間」「退院」という難関を。

 

車の窓ぎわについている、あれはなんだ?手すりか?

とにかくソレを私は初めて利用した。

時に「ぎゃあ」と言いながら座っていた。

そしてガタガタの身体を支えるために

下半身に神経を集中させた。

 

隣には、生まれたばかりの赤ちゃん。

初めての大移動。

首は大丈夫だろうか。

オムツは大丈夫だろうか。

お腹をすかせて泣くかもしれない。

心配は尽きない。

 

あゝ早く家に帰りたいよお。

 

運転席では、おとうさんがずっと喋っているが

道路の話や、過去何度も聞いた話(道路の話を含む)など

なんとも感想の思い浮かばない話だったので

なんとなく聞いていた。

でも時々クイズ形式で私(だけ)に、回答を投げかけてくるので

ある程度、集中していなくてはならぬ。

 

そっとしておいてほしい。

とにかく私は、赤ちゃんと私のことで頭はいっぱいなのだお。

 

ふと窓の外に目をやると

見慣れない景色

 

え?ここはどこ?

 

「おとうさん?ここどこですか?家に向かってますか?」

 

「ああ!今日は一度も右折しないで家に行く方法を調べてきたからね!」

 

私は、おかあさんと、夫の顔を交互に見る。

 

フツーの顔して座っている。

 

だめだ、ここには私を助けてくれる人はいないのだ。

 

え、それ、迷惑なんですけど、私はお礼を言わないといけないですか?

右折しないで帰れるんですか?すごいですね。

調べてくれてありがとうございます・・・

って言わないといけないですか?

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長い長い、帰路に揺られながら私は怒りをぶつける場所を探していた。

 

それが、ないのだ。

 

そうだ、ずっとなかったのだ。私には怒りをぶつける場所が。

 

怒りというのは表現するのは自由だけど、誰かにぶつけてもいいものではない。

 

しかし、退院を手伝ってくれている人(お礼を言うべき人)

に対してこんな怒りがあるのはなぜだろう。

 

おとうさんは、(わからないけど)もしかしたら、右折をしたら

産まれたばかりの赤ちゃんがびっくりしてしまうというイメージの世界で

生きているのかもしれない。

 

もしそういうイメージで生きている人なら

この「右折しないで赤ん坊を送り届ける」は重大ミッションだ。

 

だが、なんだろう。

 

道に詳しいことを自慢しようとしているような独特な熱量を感じる。

どうやら、そこに、私は怒りがあるぞ。

 

お礼を言い感謝するべき相手だし

本人も「俺は感謝されて当然なことをしている」という

「自信」のようなものをまとっている。

 

でももうそんなことどうでもよかったんだ。

話を複雑にしたくない。

 

とにかく私は早く家に帰りたかったんだ。

 

子育ては、操り人形だ

私は母親から日常的な暴力を受けたわけでもないし

育児を放棄されたわけでもないし

ブタと間違われて、宇宙船から捨てられたというような、過去もない。

ただ、ただ、自分が息子を出産し、母親になってから

自分の「育ち」について考えるようになったのだ。

 

 

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 理想のペンダント

「私はお母さんのペンダントだったのでは?」

この疑問が私をジワジワ苦しめた。

 

母親には、可愛がられ、大切にされた。

でもそれは彼女自身を輝かせ、人からよく見られるための

ペンダント的な役割の範囲でしか、なかったような気がするのだ。

 

私は自分自身でいるよりも、母親が求める「娘」にれるよう頑張った。

自慢の娘でありたいと思い続けた。

誇らしいと思ってもらいたかった。

それに応え続ける自分にあった感情はたぶん「喜び」だった。

 

選ぶ洋服も、習い事も、進学先も、就職先も、紹介する彼氏も

すべて母親のことを考えながら決めた。

 

私が「間違った」「失敗した」と思う時は、

母親の反応がよくない時だった。

母のルールの中での失格をしてしまうと、

彼女は簡単に娘を突き放し、見捨てた。

「親の顔に泥を塗るのか」と怒鳴ったあとに泣く母親は、

完全に被害者の顔をしていた。

 

気づくとすぐ加害者になっていた私は

いつも申し訳なくて仕方がなかった。

自分はまだまだ未熟なのだと思って、恥ずかしかった。

 

散々思い悩み、弱り切った私に

「お母さんの言うことを聞いていればいいのよ」

と優しく語りかけ、囲む人。

それが私の母親だった。

大切なペンダントとして、私はとても愛された。

  

「生きにくい」の理由

よく犯罪に手を染めようとした人が

「あの時、母親の顔が思い浮かんで、思いとどまった」

などと話すけど。

それとはなんと言うか、質感が全然違うと思っている。

 

子どもならみんな、母親を喜ばせようとする。

悲しい顔も見たくない。

でも「母親を悲しませないように」というような願いではなく、

私は圧倒的に「恐れ」に動かされていた。

ペンダントとして、母親のために輝いていないと

自分には価値がないと思っていた。

恐れに支配され、行動していた私は、えらく生きにくかった。

そしてたぶん、母親も

人の目を気にして

恐れしか見えない人で

ひどく生きにくかったに違いない。

 

自分で決めているようで、自分では何も決めていない。

この時に気づいた時、私は退職までしてしまった。

意気揚々と歩き出したのだが、 実はちょっと足踏みしている。

迷子だ。

私はどうやって生きていけばいいのかわからないのだ。

自分の喜びがわからない。

今までは、自分の外に正解があり、模範解答があり

それをうまく読み取れさえすれば、それなりに評価されてきた。

 

でももう外に評価を求めないと決めてしまったのだ。

何が正解で、何が不正解というものもない。

自分の「願い」に耳を傾けて、生きていく。ただそれだけ。

迷った時は、自分の中に、探しにいけばいい。それだけのことだ。

 

それだけのことだけど。

自分のことがわからなくて、簡単には、自分の中にアクセスできなかった。

深く深く潜って、半年近く、浮上できない時もあった。

 

そう思って、浮上できない自分を慰めながら

「生きる」を続けてみた。 

 

子育ては「puppet」

そんな時、子育ては「puppet」なのだ、と先輩に教えてもらった。

私は息子とともに生きていく中で、絶対に忘れないようにしようと

これは胸に留めたことである。

パペット、操り人形。

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ワードだけを断片的に聞くと、ひどく恐ろしい。

ここで怒らず、ぜひ最後まで聞いてほしいのだが、こういうことだ。

 

生まれた時の赤ちゃんはたくさんの紐に繋がっている。

紐に守られながら生きている。

その紐を少しずつ、チョキンチョキンと切っていき、

最後の紐を切った時、その人形が自分で立っていられるようにすること。

これが子育てなのだと。

 

私は紐があって守られた経験をした。

不自由だった経験をした。

紐を自分で突然切り始めてヨロヨロした経験をした。

 

遠回りしたと悔やんだ自分の人生。

足踏みして、立ち止まって、振り返って考えてみたら

過去の意味が変わってきた。

 

 

「お母さんに愛されなかった、大事にされなかった」という絶望は

「自分を愛せなかった、自分を大事にできなかった」という

自分自身の悲鳴だったのかもしれない。

 

だから母親をもう恨んでいない。

ここで母親の悪口を書こうという目的も、持っていない。

 

ただ、自分の中で封印してきた気持ちを

ここで表現したいという気持ちがある。

自分の悲鳴に、一度光を当ててみたい。

 

自分が今まで見ないようにしてきたものを

改めて見ていくのは、辛い作業ではあるけど

これは放ったらかしていた自分の片割れを癒す作業であるのかもしれない。

 

これは、脳内に張り付いている「母親の声」「母親の顔」を

もう私には必要のないものとして、手放していく作業である。

ベリべりべり。

母親ではなく、自分を信じるという決断である。

私は最後の紐を、やっと自分で切ったのだ。

 

「あ、これ前にも聞いた話だな」って思った時に、どうするのが正解か。

しつこい人が怖い。

しつこい人が怖い。

だから私は夫と義父が、怖い。

2人は同じ話を何度もするので、怖い。

夫よりも、義母よりも、もちろん実母の方が群を抜いて怖いのだが

この話をすると、しつこくなるので、今回は割愛する。

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意図がわからないと怖い。

夫と話していて「あ、これ前にも聞いた話だな」って思った時に

2度目なら黙ってそのまま聞く。

理由は、私もそういうことあるかもしれないって思うからだ。

3度同じ話が始まると「その話100回聞いたよ」と堂々と97回サバを読む。

4度目は黙って横目で睨む。

5度目は「うるさい!」と言うか(攻撃)、黙って席を立つ。(回避)

 

ただ、もっと怖かったのが「その話100回目だよ」って言った時に

「うん、知ってる。でね、、」と言われたことだ。

おい、待てや。

そんな私はお構い無し、彼は言う。

「この話何度もしてるなって思ったけど、自分が今話したいから、話してる」

 

アタシは「そんな暴力があるか?」と震えた。

 

同じ話を繰り返し聞かされるのは暴力だ、と思っているのは

世界中で私一人かもしれない。

私以外の全人類は「それはコミュニケーションだ」と言うかもしれない。

だけど、私は勇気を出して言う。

同じ話を何度も聞くのが、辛い。

 

義父は嫁の立場としてどうしたらいいかわからないので、夫よりも怖い。

ただいつか、いつか、「その話12回目ですね」とか言ってしまいそうで、

そんな自分が怖い。

 

同じ話を聞いてても「この出来事について、回想を続けているんだな」と

思うことがある。そういう時はもちろん怖くない。

見守りたいから、見守っている。

つまり、その人の意図がわかない時に、怖いんだと思う。

なぜこの話を私に何度もするんだ?

どういうメッセージや!?というパニックが起きているんだと思う。

 

逃げれないと思うと怖い。 

小さい時から、昔の話を何度も蒸し返したり

やっていないことをやるまで追いかけてきたりする大人や先生が怖かった。

これは「逃げれない」という類の怖さだ。

 

そうだ、職場でも怖い人がいた。

「あなた公明党?共産党?」と同じ質問を何度もしてくる人だ。

「どちらでもないです」と言うが、彼女は許してくれない。

とうとう、放課後の教室に呼び出されて

「あなた、本当は公明党だよね?」と壁の隅に追いやられた。

「違います」「私は何者でもないです」と泣きながら訴える私を

睨んで彼女は言うのだ。

「あなたの魂も震えてるけどね、私のたますぃも震えてるんだからね・・・」

 

確実に私の魂は震えていたと思うが、彼女は大事なところを見間違っている。

 

その後も、私が職員室で色んな先生と楽しくおしゃべりしていると

遠くでこちらを伺っている彼女は、目を見開いて何やら口をパクパクさせた。

「私はわかっているからね」

 

私が何者だろうと、彼女には関係ないし

そもそも話す筋合いもないが、

自己申告と事実が違ったのなら

それは恨まれるかもしれないとは思う。

ただ、私が何かに属しているとか、そんな事実はないのだ。

とんでもない勘違いが輪をかけて大きくなっていく

彼女の思考のしつこさから、逃げれない感じが本当に怖かった。

 

 

さて、色々な人のことを、しつこい、しつこいと言ってきたが

自分はどうか。

私はかなりしつこい。

 

例えば、お互いいい年になった同級生。

カッコつけている30代男性。

その男性と笑顔で話しながら

「小さい頃は、よくう◯こ漏らしてたのにね」とか

「粘土食べて泣いたことあったね」とか、

「高校生の時、血迷ったストーカーだったけど、もう改心したのかな?」とか

心の中で思っていたりする。

顔には出さないけど。

「素敵な彼女ができてよかったね!」とか言いながら。

 

誰もが怖い一面を持っている。

私も多分、誰かにとっては、一番怖い人。

 

「冬がない人」になりたかった

私は結構気分にムラがある。

とても前向きで頑張れる自分と、

生きていくのが難しいと感じて身動きが取れなくなる自分がいる。

 

思えば後者の自分の存在をずっと否定してきた。

これは本当の自分じゃない、本来の自分を取り戻したい、

元に戻るまでは誰にも会いたくない。

 

そこに確かに存在している「難しい自分」を
ずっとないもの、「本当の自分じゃないもの」としてきた。

 

特に積極的に死のうとするわけではないが、

「生きる」を続けるのが、ひどくむずかしく感じる。

死ぬわけじゃないが、生きてるわけでもない。

そういう自分には罪悪感があった。

 

「こんな私が存在していて、すみません」

 

そういう自分は未熟であって、変わらないといけない。

人に見せてはいけないと長年思ってきた。

実際、見せて、離れていった友達も彼氏もたくさんいた。

うん。家族にも見放された。

このままの自分では、いられないと思った。

 

 

自分だけじゃない。


そういう「低空飛行」の状態を訴える人のことを疎ましく思っていたし

それを隠さない人は幼いと思っていた。

「お願いだから、自分で解決してくれ」と、思っていた。

 

私も、一番大事な時に見捨てて離れていく、ひどい人だったのだ。

感情を出すと「孤独になる」「みんなが離れていく」「うんざりされる」

というのは私の中でロックオンされていたけど

本当にそうだったのだろか。

 

私はこの世の、素敵な部分、ナイスな部分だけ認めようとしていた。

明るく、生産的な春や夏。

私は春と夏の自分だけ、人前に出していた。

秋の気配を感じ始めたら明るく「じゃっ!」と引きこもり

冬は完全に身を隠していた。

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私は「冬がない人」になりたかった。

理想通りにいかないもので

今、私は長い冬を過ごしている。

春の光が、出口が、見えなくて焦っている。

この冬は、辛抱するだけの、生産性のない、

無駄な時間だと思っていたけど。

 

もしかしたら違うのかもしれない

 

ということを、この長い冬が教えてくれているような気がしてきた。

 

日本には、春、夏、秋、冬とはっきりわかりやすい変化がある。

寒い冬を越すから、桜は綺麗に咲くんだと、いつかの誰かが言っていた。

 

「何もかも嫌になる時期なんて誰にでもあると思うよ?」と、

先日尊敬する人に言われてびっくりした。

そうだったんだ、知らなかった。

自分を含めた、一部のダメな人だけが、

この感情の大きな振り幅に悩んでるんだと思っていた。

こちらはダメで、あちらはOK、というジャッジ。

無意識の、すごく大きな分断があったのだ。

冬が無駄じゃないのなら、とことん味わってみるか。

 

 

私は今後、何者として、この世界で生きていくのか、と考えた時に、

見ないようにしてきたもの、蓋をして終わりにしてきたものに、

もう一度光を当ててみようと思った。

 

蓋をしたけど、見ないようにしてきたけど、

私は隠されたそれが、ずっと気になっているのだ。

 

みんなは、どうやって生きているんだろう。

春夏秋冬は同じことの繰り返しではない。

毎年、違う顔を見せる。

スパイラルで、進んでいるのだ。

それを感じて、考えて、全てに、光を当てて見たいと思う。

 

母と娘の関係「夫のちんぽが入らない問題」

こだまさんの「夫のちんぽが入らない」という小説を読んだ。

少しネタバレが入ってしまうので、ご承知おきください。
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私は書店で買う勇気がなかったので、Amazonで買いました。
表紙のデザインは著名人のコメント。

まっすぐ歩けないから 回り道。
でも回り道が一番の近道だったと気づく時がくる。
それがくるまで歩き続ける。
その歩幅を広げてくれる一冊。

麒麟・川島明(芸人)

 え、なに、川島さん素敵なんですけど!
あの声でこの発言は罪でしょう、嘘であってほしい。(なんでや)

 

 

母と娘の関係性について考える

タイトルからして、ふざけた小説だと思っていたけど
作者から独特な「生きにくさ」を感じたので
ここで思ったことを書かせてもらいたい。

 

夫のちんぽだけが入らない、作者、こだまさん。
みんながなんとなく大人になる頃には習得していく
生きていくための知識やスキルを持ちあわせていないところとか
(だから傍目には、かなり不器用な人に見える。けど本当はどうなんだろう。)
母親との幼い頃からの描写とか

 

もう、アレじゃん、って思った。
いつものアレです。

 

私はアダルトチルドレン関係のアンテナが常に立っているので
母と子(娘)の関係にめちゃ敏感だ。

夫だけを受けいることができない
謎のストッパーに
母との幼少期からの関係だけを結びつけるのは、
こだまさんの母親に対してあまりにも酷だと思うよ。

でも私はやっぱり母との関係性の中での自己の歪みがあったように思った。
それを無視しては考えられない。
今から書くこともそれに偏りがちだということを先に断っておきます。

 

母が娘を連れて謝罪に行くシーン

こういう描写があった。

「向こうのご両親に一度謝りに行かないとね」
母が前々からその話を切り出そうとしていたことに、私は気づいていた。
だからなるべく二人きりにならないように、話を持ち出す隙を与えないよう、神経を働かせていたのだ。
でも、その日はなぜか、もういいやと思った。
指名手配犯が無防備に商店街を歩くような諦めと清々しさで、
母に言われるまま、観念して腰を下ろした。

(中略)

「うちの子の身体が弱いために、お宅の後継を産んであげることができず、本当に申し訳ありません。うちの子は、とんだ欠陥商品でして。
貧乏くじを引かせてしまい、なんとお詫びしてよいか」

Aマートの話で主導権を握った母が、その流れで唐突に謝罪を始めた。
一体いつの時代を生きているのかわからなくなった。産まないことは罪だった。少なくとも私の母の中では。頭を下げる母。困惑する義父と義母。
「まだまだ若いんだから、これからでもできるさ。気にしない、気にしない」
それもどうかと思うけど、義父の冗談めかした一言で、この話題はおしまいになった。

 

 

これを読んだ感想で、世の中は大きく3パターンの人間に
分かれるんじゃないかと思う。

 

①え・・こんなこと言うお母さんいるの?と驚く人。

②あ・・(似てる)・・・と思う人。

③このお母さんも大変だったね・・・と言う人 &その他

 

すみません、3パターンって言ったけど
これ10パターン以上かもしれないなと思いながら
「&その他」という逃げの姿勢で無理やり3パターンにしました。


自分は②の人です。 

ただの感想ですが、①の人は、個人的にとてもうらやましい。
自分の息子にも①の人間になってほしい。
(おばあちゃんの姿を見てるから無理か?)

 

③になんて書こうか迷った時に、思い浮かべたのは実母(まりこ)でした。
まりこさんだったらなんて言うかなって。

というかこだまさんの母はうちのまりこか?という感じなのですが。
色んなセリフが細かに思い浮かんだんですが、場面によるかな。

 とりあえず思うのは、まりこさんは誰かしらに同情はするだろうけど
小説を読み、母親のシーンに触れても
娘を傷つけているこの母親と自分の姿を重ねることはないと思う。

なぜこの人はいつも自分を省みないのだろうって不思議だったけど
それはまりこさんの特性なのかもと最近は思ってる。

悪気のない人を恨んでも仕方ない。

 

ただ、私は、この文面から娘(こだまさん)の悲鳴が聞こえるのだけど
(母親の悲鳴も聞こえる)

その叫びが全く耳に入らない人がいるのかもしれないと思うと
普通にちょと悲しい。

というのも、結構この作者は色々なところで怒られている。
怒りたくなるのも、もどかしく感じるのもその通りだけど

その感情を元に考えたいことって結構ある。

 

その人の悲鳴を聞かず、批判する人はきっとたくさんいる。
でも耳をふさぐ人にも、
ただ批判するだけの人にも、
それぞれの叫びがあるのかもしれないと思ってる。

報われなかった過去の痛みとか、無茶な頑張りとか、
言語化不可能な怒りに蓋をして
見ないようにしていることがあるのかもしれない。

 

作者の母親像について

この母親像について思ったことを書きたい。
当たり前だけど全部、憶測です。

 

・自分と娘を切り離して考えていない

・だから娘を傷つけているなんて思いもしない

・もしくは娘は傷ついても仕方ないと思っている

・だって私(母)がこんなに傷ついているんだよ?という胸中

・娘の人生を勝手に背負う、それもひとりで

・娘の失敗は自分の失敗(だと思われるからコントロールしたい)

・コントロールしたいけど、コントロールしきれない存在の
 不器用な部分が目につく、許せない

・一緒に謝りに来た私を見てください

・私は悪くないんです!!

・この娘が悪いんです!!!という叫び

 

一言でまとめると、母親の謝罪行脚は
「こんな娘のために今までも頑張ってきました。この娘の母親として精一杯
頑張ってきた私を認めてください・・・」
という悲鳴に感じた。

 

本人は必死だろうけど、実娘や相手方の両親からしたら・・・ひくよね。
でも本人はね、命がかかってるくらい必死なんだろうな。

「自分はこれを悪いことだと思ってるんです・・・でもねうちの娘が・・・」って。

欠陥品だなんて、すごいひどい言葉を吐いてることにも気づかないくらい
この母親は、自分を守るのに必死なんだろうな。

 

「謝罪しているこの私も被害者」

ここからは私の母親、まりこの話になります。
彼女もこういう悲鳴をよくあげるのです。


私は配慮のない言葉に傷ついたうえに、
止めようのない悲鳴を聞く羽目になるから
本当に迷惑だと思っていた。

私が傷つくなんて思っていないのか、私の感情なんて御構い無しに。
そして自分が傷ついたということを、もう言いたい放題だ。

 

この小説のような時代錯誤の謝罪も、目の前で見せつけられてきた。
そのたびに「謝罪している私(母)も被害者なのよ」という姿を見せつけられた。

 

「見せつけたれた」と、含みのある表現をどうしてもしてしまうのは、

母の言葉のチョイスや表情、態度から
自分がこのような謝罪をして健気だ、とか
可哀想だとか、思っているように感じたからだ。

 

これは私のフィルターを通しているのできっと真実ではない。
でも今のところ、そう受け取るしかない。

自分なりに腑に落ちるカタチで母親との関係を見て行くしかない。
近くで見聞きするとダメージを受けすぎちゃうから
最近は俯瞰するようにしているんだけど、
そうすると聞こえてくる声がある。

まりこさんが感情的になっている時って、よくこういうこと言ってる。

 

・私は正しいの。

・あなたの選択が間違っているの。

・失敗したらあなたの責任であって私の責任ではないの。

・とはいえ失敗したら結局私の責任になるのだから考えを改めなさい。

・私は反対したわよ、失敗しても知らないわよ。

・まだそんなこと言ってるの?いい加減、改めなさいよ、失敗するわよ。

・お願い、諦めて、あなた失敗するから。

・失敗なんかして親の顔に泥を塗るな!!!

 

ものすごーい、恐れが聞こえてくるんですよね。
こんな感じなので、私が失敗したり傷ついたりしている時は
慰めてもらえなかったどころか、一方的に責められました。

こんな状況で母親からも攻撃受けるって最悪なので
いつからか、母親には本当のことは話さなくなりましたね。

 

まあ、全部憶測なんですけど。
一応忠実に言語化して見ました。 

 

・母親は父親に頼れず一人で頑張ってきた。

・頑張っても認めてもらえなかった。

・認めてもらえないけど、失敗をすると責められた。

・できて当たり前というプレッシャーがあった。

・失敗するのがこわかった。

・子育てが怖かった。

・自分の思い通りにならないことで自分の評価が落ちるのが嫌だった。

 こういう感情があったのではないかな?って思えてきます。
だとしたら、まりこさん、辛かったんだろうなって。

 

もうウォールマリアは必要ない


でも知ってますか?って母親に言いたい。

お母さんの人生はお母さんの人生。
私の人生は私の人生。
私はもう自分で責任を持って生きてますよ。

もうとっくに、お母さんの管理下ではないです。
だから重荷を下ろしてくださいね。
それが私にとっての幸せです。って。

 

色々あったけど 私の幸せ、願いは、これにつきます。
自分も、人と自分の人生を区別して、楽しく生きて生きたいなと
思う次第でございます。

 

この場を借りて、自分の気持ちを改めて成仏させてもらいました。

 

こだまさんもこの本を出したことで、
こだまさんのウォールマリアは壊されたな・・という印象を受けました。
今後も応援したい作家さんです。

 

今現在、お母さんとの関係でモヤモヤしている人にも、
いつかカラッと笑える日がくるといいですね。